光明寺は碓井松濤開基住職のもと、昭和8年に現在地に建てられました。同時に光明寺付属見立山保育園(現社会福祉法人 広島光明学園)を併設し、布教活動を続けながらお寺の護持に努められました。
昭和20年8月6日、原爆により本堂、庫裏は倒壊しましたが、ご門徒の方々、ご近所の皆さまのご尽力により再建され、改修をかさね現在に至っています。現在も本堂内陣にある柱は、被ばく当時のものが使われており、広島市内で原爆投下後ほどなくして建て直された寺院の中では数少ない木造建築物だと思われます。
開基住職 碓井 松濤 |
1933年(昭和8年)の光明寺と光明寺付属見立山保育園の園児 |
1970年頃の光明寺の様子です。正面の道路もまだ拡幅前で、小さな通りでした。 境内にはイチョウの木やビワの木、ソテツの木なども植えてありました。 |
1988年 本堂の大規模修繕をいたしました。 |
1992年、いのはな夢創園(京都府伏見区)猪鼻 昌司氏を中心に、野田造園(滋賀県大津市)の野田 勉氏、他職人の方々にお寺の外庭、中庭、裏庭を造っていただきました。 |
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龍谷山 本願寺(西本願寺) |
碓井 真行 Shingyo Usui |
光明寺〒732-0066 |